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日記をつけるように音を録る

恩田晃

6〜7年前だったかな。ロンドンののみの市でカセット・レコーダーを手に入れました。それ以来、いつもそれを持ち歩いています。何処にでもある手のひらサイズのウォークマンです。普段の生活のなかで、旅をしながら、気にいった音を耳にすると録音ボタンをプチッと押し、記憶の磁気をテープに刻みつける。音の日記といったところでしょうか。

録音したカセット・テープはそのまま演奏したり、作曲のモチーフとして使います。わたしはピアノや机に向かって音符を紙に書き連ねていくタイプのコンポーザーではありません。あえていえばフィールド・レコーディング派ですね。わたし自身の個人的な生活の営みのなかから具体的な<音>をドキュメントして、それを直感的にコンポーズしていくことによって<音楽>を紡ぎだしていきます。

影響を受けたコンポーザーですか? リュク・フェラーリやフィル・ニブロックがエレクトロニック・ミュージックの範疇で成し遂げたことは面白いですね。ビジョンのある音楽。スタイルは違いますがイアニス・ゼナキスも好きです。難解な理論で武装しながらも、自らのオブセッションを音楽にストレートに取り込んでいる。聴いていると妄信に向かってひたすら猛進した男の姿がありありと目に浮かんできます。で、人はそこに尋常でないなにかを嗅ぎつける。

でも、それよりも、わたしはジョナス・メカス、ロバート・フランク、ピーター・ビアードなどの視覚的なアーティストからより強い影響を受けています。人間の記憶のメカニズムにとりつかれた人達です。個人的な生活だけを題材にして摩訶不思議な現象を即興的に浮かび上がらせてしまう。とても音楽的です。最近、わたしがニューヨークで過ごすことが多いのも、彼らのような人達がこれまでに残してきた数限りない記憶の断片が都市の記憶そのもののなかに染みついているからです。たとえば、メカスを通じてフラクサスの体現していた現象としてのアートがあらわになり、同じ様な指向性を秘めていたミニマリズムの精神がわたしと同じ世代の音楽家に受け継がれていく。多くのことが時代と世代を超えて綿密につながっている。彼らと一緒に時を過ごし、彼らのつくりだしてきた現象と直接的に交感することによって自分がなに者であるのかがはっきりとしてきます。わたしの発する<音>は数多くの人々の記憶がつくりだしてきた<音楽>のひろがりのなかに存在しています。

『CDジャーナル』(2002年発行)掲載


Last updated: September 17, 2002