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陽光のメモワール

トム・ラブ=トム・スティンル

恩田晃

ずっと、レコード屋のエレクトロニカのコーナーが好きになれなかった。無機質なグレートーンのジャケットばかりで色気がない(眼鏡かけたオタクばかりで可愛い娘がいない)。そこで、淡いパステル・カラーに包まれたトム・ラブのアルバムをよく見かけるようになったのは2、3年前のことだろうか。コンクリートに覆われたポスト・モダンなビルの壁の破れめから、一輪のひな菊の花がひょっこりと顔をだすように、心を和ませるものがあった。そのうち、ひょんなことからレーベルのプロデューサー、トム・スティンルと知り合い、一緒に仕事をすることになった。トムと彼が友人が運営するもうひとつのレーベル、ソフトル・ミュージックからわたしのアルバムをリリースすることになったのだ。メールのやりとりから、去年の秋にニューヨークで初めて逢った。ラ・モンテ・ヤングのドリーム・ハウスに行ったり、友人の家でワインを飲みながら料理を楽しんだり。WTCのテロ事件の衝撃がさめやらぬ頃で、街には緊張した空気が張りつめていたけれど、僕らはくつろいだ時間を一緒に過ごした。プライベートな感覚をとても大切にする奴だ。でも、トムはただ人がいいわけじゃない。頑固で自分の音楽観を曲げようとしない。繊細で、ロマンティストで扱いにくいところもある。まあ、だからこそトム・ラブ独特のあのムードがにじみ出るんじゃないかな。どのアルバムも<柔らかな陽射しに包まれた青春のメモワール>、センチメンタルでトムの好みが色濃く写し出されている。彼にとってトム・ラブはパーソナルな世界を描き出すためのスピード・カーなのだ。

「ドイツ南部のちっぽけな田舎町で育ったんだ。中産階級のサバービアン・ライフに囲まれてたよ。大学で機械工学を専攻し、その後はケルンに移り住んで自動車会社でエンジニアとして働きはじめた。僕の生い立ちはふたつの異なった世界でできているんだ。ひとつは機械工学、僕の考え方に大きく影響しているだろうね。もうひとつが音楽とアート。無味乾燥なエンジニアの仕事とは対極にある。十代の頃からずっと音楽やアートの世界に対するあこがれを持ち続けてきた。それが少しづつ実現しつつあるんだ」

レーベルを作ったのは、彼自身が音楽家としてアルバムを発表する場を持つためだった。ヨルグ・フォレートらとコラボレートした "visor" とトムのソロ "summer dsp" の2枚を限定数百部でリリースし、すぐに完売。ハンドメイドな電子音は静かな反響を巻き起こした。他のアーティストからデモが送られてくるようになり、サック・アンド・ブルムなどのアルバムがリリースされた。

「その頃は自動車会社で働いていたし、忙しすぎて自分の音楽を作る時間がなくなってしまった。そのうちに、自分がアーティストとしてやっていくよりも他のアーティストのために身を捧げる方が僕には向いてるんじゃないかと思うようになったんだ」

そんなこんなではや5年。去年、トムは会社を辞めレーベル業に専念することに。リリース量も増え、すでに20枚近く。トム・ラブ色もより鮮明になり、かつバラエティーに富んできている。特に素晴らしかったのが "Pocket Symphonies for Painfully Alone"。アメリカのオレゴン州に住むオーエン・アシュウォースがカシオトーン片手に歌いまくる悲劇的ラブ・ソングの数々!!!

「トム・ラブはエレクトロニカのシーンのなかで生まれ、そこを基盤にネットワークを広げてきた。でも、今はギターもののインディー・ポップに入れ込んでいるんだ。僕がレーベルを始めた頃はそのふたつは別のジャンルだったけれど、今や、その境界線はあいまい。結局、どんな音楽かというよりは、レーベルに関わる人達がつくり出すネットワークの方が大切なんだ。トム・ラブにコンセプトなんてないよ」

あいまいな音楽状況だからこそ、プライベートな人間関係で音楽を切ってみせる。いってみれば、トム・ラブとはトム・スティンルのささやかな世界認識の方法なのだ。

『スタジオ・ボイス』2002年7月号掲載


Last updated: September 17, 2002