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2002年Haco旅日記:カナダ・米国東海岸篇

カナダ、米国の国境線を行き来する一人旅。楽器・荷物運び、入国審査、航空機のセキュリティ・チェック。あのテロ以降、きついこと限りなし。へとへとの汗みずく、不注意によるほんのちょっとの損失とか、道中いろいろあったけど、なんとか体調崩さずにやってこれて、ほんとよかった。現地のアーティスト達との即興は、予想以上の成果だったし、遊びの時間でさえ、貴重な体験や発見が多かった。それに、ソロのパフォーマンスも好意を持ってうけいられた。いろんな人からエネルギーをもらった。

4月19日、トロントのIMAGE FESTIVALは、インディペンデント映像作品を紹介してきて15年目。私はアレックス・マッケンジーのマルチ・フィルム作品『Nightsky』に、即興でサウンドトラックをつける企画で呼ばれた。今回持ち込んだのは、サンプラー、ピエゾ・マイク、マイクロ・オシレーター、ポケット・テレミン、エレクトロニック・パーカッションなど、ごく小さな機材ばかり。それと特殊な声使いを少々。アレックスの宇宙的な映像とのデュエットがうまく運んだ。アート・ディレクターのクリスの期待にも応えられて、まずは成功。そのあとのソロ演奏では、エレクトリック・マンドリンとハウリング・ポット、もちろんヴォーカルを加えて披露。

4月20日、カナダからアメリカのバッファローに車で移動。昼間にナイアガラの滝を見物。現物は完璧だ。くっきりとした虹が三つもかかっていた。夜中にモハーク・プレイスという地元の老舗クラブで演奏。ビデオ作家のマーティンが、私のソロ・パフォーマンスを撮影するつもりで、ブッキングしてくれたのだ。客のノリはいいが、PAオペレータがいなくて、サウンドはでたらめだったのが残念。他の若手ギター・ロックバンドの演奏は、ツアーして鍛えている感じ。忍耐強くなければ、アメリカ市場で成功しないのだ。

4月25日、モントリオールの即興シーンで今人気のある場所、カサ・デ・ポポロ。ここでは、マルタン・テトロ (turntable) とデュアン・ラブロス (sampler) とのトリオ。三者のノイズ音が解け合うように生成されるエレクトロニクス・ミュージックを展開。40分の演奏のあと、「ブラボー!」と客席が沸いて、三人とも満足げな顔になった。マルタンは、5月のUKツアー「Turntable Hell」をキュレートした。これは9人のターンテーブル奏者とVJを含んだ実験的なプロジェクトだ。それに向けて、自宅スタジオでは新たなシステムを開発中だった。ターンテーブルといっても、盤の音は使わず、レコード針の音だけを拾って演奏するスタイルで、大友氏やいろんなプレイヤーに影響を与えた。芸術家マルタンと過ごした5日間、リハ、料理自慢、山登り、ビートルズのレコードジャケからリンゴ・スター以外を削除した作品を見せてもらったり、ほんと楽しかった。

4月28日、ニューヨークのダウンタウン・ミュージック・ギャラリーというレコード店内で演奏。こんな狭いところで、三年前に八木美知依ちゃんが箏を演奏したというから驚きだ。PAの変わりに、ギターアンプからヴォーカルを出して、私はちょっと勝手が違う。ニック・ディドコフスキーとのデュオ。ニックはプレぺアード・ギターを台の上に置いた。小さな場所の雰囲気にあった、息使いの感じられる音楽になる。そうそう、webサイト"Improvised Music from Japan"の鈴木さんとキャシーさんが、たまたまニューヨークにいて、見に来てくださった。感謝。

4月28日、ニューヨークからボストンへバスで移動。オーガナイズしてくれたベンは、疲労困憊している。会場だったはずのゼイゲスト・ギャラリーが、一週間前に火事で焼けて、閉鎖してしまったのだ。それから、彼は別の会場をなんとか見つけ、PA機材の調達に走りまくったのだ。なんてお気の毒。ボストンでは、新進イプロバイザー、リズ・トニ (voice)、ハワード・ステルザー (tapes)、ジェイソン・タルボ (turntable)、カット・ヘルナンデス (violin)との共演。20才代前半の彼らには、マテリアリズム、音響シーンと繋がる流れがあって、けっこう分かりやすかった。彼らを共演者として推薦してくれたベンは、こんなにフィットするとは思わなかった、と喜んだ。

5月2日、ワシントンDC、ブラック・キャットの夜。ブッキングしてくれたチャット・ベティスは、オープニングでラップトップを演奏、ヴィジュアル・スタッフとの共演、 彼は、今年1月にAll Scarというバンドで、日本に来ていたそうだ。私のソロのあと、セレバス・ショールというサイケ・フォークロック・グループが演奏。とてもおもしろいバンドだった。ライブ終了後、チャットと異常音楽愛好家マイクと共に、車ででかけた。夜中にライトアップされたワシントン・モニュメント、ホワイトハウスを見る。風が強くて、ありったけの星条旗がかたかた鳴っていた。

5月5日、ニューヨークに戻り、会場はトニック。ステージ背景の赤いベルベットのカーテンが謎だ。PAのサウンドは、今回のツアーで一番良かった。腕のいい女性エンジニアがいる。1stセット目はソロを30分。会場の音響が良いと演奏もすかっとする。余裕もわいてくる。そして、今回の仕切をしてくれたロン・アンダーソン (guitar)と、エリオット・シャープ (bass)、ケン・ヤマザキ (drums)との各デュオ。2ndセットは、四人でインプロ。ロンはアナログシンセやポケット・トランペット、エリオットはクラリネットも演奏して、音に幅がでてくる。ゆったり流れながらも起伏に富んで、時にピリっとしたところもあって、うんと楽しめた。これに関しては、エリオットがもっと上手くライブ・レポートにまとめている。

5月6日、昨夜トニックのライブを見に来てくれたジョン・ゾーンとイクエ・モリと一緒に、昼食をいただいた。イクエさんは、私のソロを気にいって、今度何かいっしょに作らない?と声をかけた。願わくば、恩田晃さんも加えてのアルバム・レコーディングに、などと話がどんどん進んでいく。そのあと、一人でブロードウェイを歩いていたら、なんとPANSONICのミカ・バイオが向こうから歩いてきた。今日、バルセロナに帰るのだという。ソーホーのレコード屋に入ったら、ジム・オルークとばったり。今日は、 人に出くわす運が強い日だなーと思った。ちょっと立ち話。「飛行機のセキュリティとか問題なかった?」と彼が尋ねた。やっぱり、世知辛く、きびしくなっている感じ。あちこちに旅する音楽家はそれに敏感だ。そうそう、ブルックリンのアパートに、私を滞在させてくれたロンにも感謝しなくちゃ。ブルックリンには、数知れないほどのアーティスト達が移り住んできている。私はその翌朝4時、まだ薄暗いなかブルックリンを発って、JFK空港へとタクシーを走らせた。


Last updated: May 28, 2002