Japanese Free Improvisers / Junji Hirose / Information in Japanese

略歴

テナー・サックス、自作ノイズ・マシーン(過去にはソプラノ・サックスを演奏した時期もある)

1955年3月29日東京都国分寺生まれ。

中学時代から日野皓正、マイルス・デイヴィスなどモダン・ジャズを聞き始める。トランペットを買って、独学で習い始める。

マイルスを聞いているうちに、メンバーのコルトレーンに傾倒。テナー・サックスを買って、独学で演奏を始める。

1973年、明治学院大学に入学。ジャズ研に入部。

ソウル・バンドに誘われ、レコードを出す。

パーカー、ローヴェンス、アレックス・シュリッペンバッハの「パキスタン・ポマード」を聴き、エヴァン・パーカーの演奏に衝撃を受ける。ヨーロッパ・フリー・インプロヴィゼイションとの最初の出会いだった。

1978年、大学卒業。

1979年、永野秀一(ベース)、山崎泰弘(ドラムス)とトリオ「フリー・エクスパンション」を結成。

河野雅彦(トロンボーン)と親しくなり、一緒にコンサートを企画する。

近藤等則(トランペット)、吉沢元治(ベース)、高木元輝(サックス)などのワークショップに度々参加し、ポール・ローヴェンスやユージーン・チャドボーン(ギター)ほか外国人ミュージシャンと共演する機会を得る。

1981年、自主レーベル「カクーン」から「ソロ・サクソフォーン」をリリース。

80年代前半は、厚木「ファー・アウト」や中野「テルプシコール」を中心に飯島晃(ギター)、元木義則(ギター)、豊住芳三郎(ドラムス)等としばしば共演。テルプシコールでは自らコンサートを企画し、ミュージシャンはもとよりダンサーや詩人とも共演する。

1982年、藤川義明がイースタシア・オーケストラを旗揚げした時に短期間参加し、サックスを吹く。

この頃から、がらくたを集めて演奏に使い始める。最初の頃はバラバラに置いていたが、そのうち枠を設けて、各パーツを卓上型のセットに取り付けるようになる。

1984年、イースタシア・オーケストラにやはり短期間再加入し、メンバーとして渡欧。西ドイツ(メールス・ジャズ・フェスティヴァルに出演)、東ドイツ、オーストリア、スイス、オランダで演奏する。

1984年、富樫雅彦のバンドにサックスで参加。以来、2002年に富樫が演奏活動を停止するまで断続的に共演を続ける。

1987年、「ノイズ・マシーン」を持参してライプチヒのジャズ・フェスティヴァルに出演。この時、持ち運びできるようにマシーンを小型化する。これが現在使用しているものの原型となる。

1988年、大友良英とのデュオがスタート、1990年頃まで続く。

1989年、大友とのデュオLP『シランガナン・インガイ』を発表。

1989年、不破大輔が旗揚げした「渋さ知らズ」にサックスで参加。以来、現在に至るまで断続的に参加。

1991年、鬼怒無月(ギター)プロジェクトに植村昌弘(ドラムス)と共に参加(サックス担当)。同年、これが植村をリーダーとするP.O.N.に発展。

1991年、大友のグラウンド・ゼロにゲスト参加。1992年から約2年間、正式メンバーになる。(楽器はサックスのみ)

1993年、グラウンド・ゼロのメンバーとしてメールス・ジャズ・フェスティヴァル、および札幌ナウ・ミュージック・フェスティヴァルに出演。

1995年、ササキヒデアキ(ヴィデオ)、内橋和久(ギター)とステレオドロームを結成。

1996年、神戸フェスティヴァル・ビヨンド・イノセンスにステレオドロームのメンバー、およびソロで出演。

1998年、「渋さ知らズ」のメンバーとしてメールス・ジャズ・フェスティヴァル、およびオランダ、アムステルダムのクラブ「BIMHUIS」で演奏する。

1998年、横浜ジャズ・プロムナードに金井英人(ベース)、千野秀一(キーボード)のトリオ、および「渋さ知らズ」のメンバーとして出演。

1999年4月、植村昌弘がP.O.N. の解散を表明。

1999年、横浜ジャズ・プロムナードに「渋さ知らズ」のメンバーとして出演。

2000年6月、富樫雅彦音楽生活45周年記念コンサート(東京国際フォーラム、ホールC)に出演。

2000年10月、横浜ジャズプロムナードに金井英人(ベース)ユニット with 広瀬淳二(テナー・サックス)、加藤崇之(ギター)、馬場高望(パーカッション)で出演。

2000年11月、CD「ギロチン兄弟プレゼンツ:広瀬淳二の注目すべき人々との出会い」をTag Rag Recordsよりリリース。

2000年11月、フェスティヴァル・ビヨンド・イノセンス(神戸ジーベック・ホール)に「ギロチン兄弟プレゼンツ:広瀬淳二の注目すべき人々との出会い in 神戸」と題し出演。

2004年後半からほぼ休業状態となるが、2008年後半から演奏活動を本格的に再開。

2008年、雨宮拓(ピアノ)、大沼志郎(ドラムス)とともにトリオ Musashi を結成。広瀬はテナー・サックスを担当。 翌年の2009年、バンド名を SAU に変更する。さらに2009年9月より加藤崇之(ギター)が加入しカルテットとなる。

2009年、芳垣安洋(ドラムス、パーカッション)とのデュオによる活動を開始。このふたりに井野信義(コントラバス)または中村としまる(ノーインプット・ミキシング・ボード)を加えたトリオでの演奏も継続的におこなう。

2010年、吉田達也(ドラムス)、伊東篤宏(オプトロン)、広瀬淳二(テナー・サックス)トリオを結成する。

2010年9月、テナー・サックスによるソロ・アルバム『The Elements』(doubtmusic) をリリース。

2010年9月、Ftarri Doubtmusic Festival(東京、スーパー・デラックス)にテナー・サックス・ソロで出演。

2010年9月、東京「キッド・アイラック・アート・ホール」で自作ノイズ・マシーンを使ったソロ演奏のコンサート・シリーズを開始。


Last updated: August 29, 2010