Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記別冊「7時間フリージャズ講座後記」

みなさん、こんにちは。

昨日の東京はちょっとだけ春みないな陽気でしたが、こうなると気になりだすのが花粉症で…そろそろですよね〜同士のみなさん。え、東京? ベルリンからパリに向かうんじゃなかったかって。実は今度は成田からサンフランシスコに向かう機内で書いています。 本来なら欧州から直行でサンフランシスコに向かいたいところなんすが、一旦成田に戻ってからSFに向かったほうが、チケット代が三分の一以下で…おれ等みたいな個人営業のミュージシャンは、こうでもしなきゃ採算とれないのよ。おまけにパリ空港が雪で閉鎖になった余波をくらって、東京に2日間いれる予定が、1日しかいれなくて…いやはやなんとも、40を過ぎた人間にはキツイ、キツイ。それにしてもですねえ、みなさん、たとえばタクシーや電車だったら走行距離に応じて運賃が比例するのに、飛行機の運賃設定 っていったいどうなってるんでしょうねえ。東京〜那覇の往復が5万円なら、東京〜サンフランシスコの往復も5万円。先週行ったベルリン便は6万円。なのに東京→ベルリン→サンフランシスコ→東京ってチケットを買うと34万円。それにしても欧州6万ってのは、おれ等の世代にはマックの50円バーガー(だったっけ)くらいのデフレ感があって、チケットが安いおかげで、最近の欧州便はものすごい人数の日本人団体観光客が乗っていて、かつてのように中央の4席を独占して寝てる間に到着みたいな楽なフライトにはめったに出会えなくなっちゃった。あ、でも昨年の後半だけはガラガラでしたが。今乗ってるサンフランシスコ便は7割って感じで、隣の席が空いていて、昨年の満席のシカゴ便を考えれば、ま、楽なほうでほっとしてます。

今さっき、隣の人のラップトップのキーボードかこわれたみたいで、一生懸命直しているようなのですがうまくいかず、見かねてついつい手を出してしまいました。電機屋の息子に生まれると、こういうことだけは役に立つんですよね。父さん感謝してます。

さて、今回は前回10月JAMJAM日記に、7時間フリージャズ講座の話を入れ忘れたので、そのことを書こうかと。


@月@日
渋谷アップリンク・ファクトリー。かつて雑誌『エスプレッソ』を発行し、一時代を築いたサックス奏者の大谷能生企画の7時間フリージャズ講座。7時間もの講座にいったい誰が来るのかと思いきや定員50人はあっという間に予約でいっぱいで、入れない人も沢山いた。入れなかった人ごめんなさい。7時間ってのは長すぎるんじゃ…って意見もあったけれど、今回の講座で特に強調したかった以下の3点を明確にするだけでも最低はこのくらいは必要だと思ったのだ。

  1. 通常のジャズの歴史が当たり前のように語るビバップ→モード→フリーという進化の過程(マイルス、コルトレーン中心史観と言ってもよい)はコルトレーンの個人史としては当てはまるが、実際のフリージャズの発生は明らかにこの進化の過程をふんでいない。
  2. 一言でフリージャズといわれるが、実際はいくつもの異なる方法が同時代的に発生していて、かならずしもフリーという共通のメソッドがあるわけではなく、実際はかなり豊かなヴァリエーションの総体をフリージャズという名で乱暴にカテゴライズしている点。個人的にはこうした多用な流れのひとつとしてモードがあったと捉えたい。 
  3. 70年代以降に出てきたフリーインプロヴィゼーションとフリージャズは、明らかに異なる言語であることを、音楽イディオムの観点から見ていく。これはディレク・ベイリーがやっていた作業だ。
で、実際にやってみたら、やっぱり7時間でも足りなくて後半は駆け足になってしまった。それ以前に頭脳の体力の問題で、後半になるにしたがって、思考回路がダウナーな感じになってきて、言えなかった事、言い足りなかったことが沢山でてきてしまった。会場にはドラムの芳垣安洋、ベースの水谷浩章にも来てもらい実際に演奏しながら、具体的にフリージャズと呼ばれるものの中で何が起こっているのかやってもらい、彼らの実感もしゃべってもらった。これはオレにとっても素晴らしく刺激的な内容だった。普段僕らとはリハーサルをしていても、どうやっているかって部分について語ることはそんなにはない。ちょうどスキーみたいなもんで、滑るコースやその方法を検討することはあっても、体の重心をどう移動すれば曲がれるか…なんてことは初心者に教える時しか考えないように。あるいは日本語をしゃべっているとき、この言葉がどんな文法で…なんてことを考えながらしゃべることなんてないように、僕らは理論を考えながら演奏しているわけではない。そう、まったくしゃべる様に演奏している。だから実際にどうなっているかを、それをやってない人達に説明するのは非常に難しい。だから大谷くんもまじえて4人でその話をするのは、至極面白かった。しかも4人の方法論はかならずしもぴたりと一致しているわけではないのも、はっきり分かった。それでも僕らは共演できて、同じ曲を演奏することが出来るのだ。

終了後、かたづけの最中にも何人かから質問を受けた。実際に楽器を演奏している人からは、もっと具体的な演奏理論を知りたい…というかこれを知ればフリージャズが演奏 出来るというような理論を知りたかった、という質問というより要求。たしかにわたしはそういう理論については一切触れなかった。それはあるかもしれないけれど、わたしは知らないし、そういう理論化をすることによって、見えなくなるものの多さのほうが恐ろしいという気がするのだ。たしかに理論化しやすいフリージャズもある。セシル・ テイラーやポール・プレイのやっていることはビバップのように理論化可能な気がするし、それは相当に複雑で面白いのではないか。オーネット・コールマンについてもかなり研究されているはずだ。アイラーについても、やっている理屈というか文法みたいなもんは極めてシンプルで、そんなに複雑な体系ではない。それでも、わたし個人は、こうした理論化にものすごい違和感を感じる。それはたとえばラップの語法を文法的に解明する空虚さにも近い。そんな分法を学ぶ暇があったらストリートに出て歌ってみなよって話だ。本を読めば手にはいるような理論が音楽をどれだけつまらなくしてきたことか。 とはいえ、それではどうやって演奏すればいいのかという質問の答えにはならない。なので以下はあくまでもわたしがやった方法だが、それはフリージャズの言語が血肉になるくらい聴き込むことだった。

(正確にはフリージャズだけではなく、ベイリー以降のフリーも含む)暗記するほどLPを聴いたし、それこそものすごい数のライヴを見てきた。そしてその言語をしゃべれる人達と実際に繰り返し演奏した。それはあとからよその言語を覚えるのとまったく同じ方法だ。理論と呼べるようなメソッドがこのジャンルにはなかったからそうするしかな かった。その中でリズムや音色をつかんでいった。だからわたしの方法はネイティヴ・スピーカーになることではなく、ピジン英語でもいいから言葉を通じさせる方法だった。この方法が全ての人に勧められる方法かどうかは自信がないけれど、こうした方法で音楽をつくらなくては、自分の音楽は創れないという切実な部分からそうなったように思 う。これがわたしの答えだ。だからインスタントにフリーをやれるメソッドなんて教えられない。そういうことがどうしてもやりたければ、そういうメソッドを教えてくれる先生を探せばいいのだけれど、オレは信用しないな。やりたい人が自分で自分の方法をさがせばいいんじゃないだろうか。

それと、これも質問ってよりは、リクエストなのだけど、次回は、フリージャズからベイリー等の即興や日本のフリー、ジョン・ゾーンのやったことなんかをやってほしいという、うれしい反響。ただオレは教えるのが本業じゃないし、やるとなるとそれなりに時間も食うので、すぐには考えていない。今度やるとしたら何回かに分けて、毎回テーマを絞ってやりたいと思うけど、う〜ん、時間がなくて、いつになるやら。大谷くんにたきつけられたら、そのうちやる気になるかもしれない。でも本当なら、オレじゃなくて、もっと若いひとたちが完全に進化論のような歴史観からはなれた視点で、これらの音楽を鮮やかに位置づけてほしいなって思っている。僕らの世代はどうしても進化論のように音楽は常に前に向かって発展していく…という実に危険きわまりない暗黙の前提に縛られがちで、わたしの今回の講座もその粋から抜け出ているとは思えない。実はこういう進化論史観に対する鮮やかな反旗を実践しているのはジョンゾーンのTZADIKレー ベルでの活動だと思うんだけど…このニュアンスわかってもらえるかなあ。

もうひとつの質問、なんであなたと圧倒的な技術の差のあるジャズのミュージシャンとバンドを組んでいるのか。要するに、あなたのよなジャズの出来ない下手糞がなんで一流のジャズメンと組んでるんだって話だ。他のメンバーがいる前でなんでこんな野暮な質問しやがるんだ。気ィつかって答えられねえじゃねえか。この質問はぜひ他のメンバーにわたしのいないところでしてほしいなって思う。「なんであなたは大友よりはるかに技術的に上なのに大友と組むのか」って具合に。たしかにわたしは普通に言われているような意味ではジャズは演奏できないし、その技術も持ち合わせていないけれど、だからといって普段ジャズのフィールドで演奏している人とフェアではない共演をしているとはまったく考えていない。これは今だから言えるけど、ONJQ結成当初は、自分の演奏にも一緒にやっているメンバーの演奏にもまったく満足できなかった。技術の問題ではなく、音楽の問題としてだ。5人でツアーをし、何人かのゲストとレコーディングしたりしていく中で僕らは一歩づつ音楽を作っていった。だから3枚のアルバムや今のライヴにはそれなりの自信もある。僕らは僕らでなくては出来ないバンド・サウンドを作っている。それだけのことだ。正面から答えるとしたらそれしかない。

実はこの質問はONJQ結成以降今までにも何回かされた特に日本だけでよくされる質問だ。欧米ではまったく逆の質問をされる。ある有名プロデューサーにホーン・セクションを代えるべきだ…と言われて猛反発したこともある。当然だけれど、欧米でJAZZをやるということはパーカーやコルトレーン、コニッツがいた土俵にあがることだ。だからONJQのメンバーに技術があるなんて見方は100%されない。それでもわたしは上に答えた同じ理由でホーン・セクションを代えてまでCDを出したいとはまったく思わない。ぼくらはネイティヴなジャズ語を話すミュージシャンではない。その意味でこの5人はまったく共通していて、ジャズの視点で見たら非常に半端な存在だ。それでもピジン言語を話す人間が無理をしてネイティヴ・スピーカー風の訛りで話すような音楽はやりたくないのだ。僕らには僕ら固有の音楽ヒストリーがあってそのことを正面から受け止めて音楽を作る以外に何が出来るというのか。

…と、これはONJQをやっているオレ自身の偽りのない言葉なのだけれど、もう一方のオレはこうも言っている。お前がジャズにこだわる必要は本当にあるのか…と。それよりも別の役目がありはしないか…と。特に欧州の即興演奏家のアンチ・ジャズの姿勢は僕らが想像する以上で、何人もの友人から、なんでお前がJAZZをやるんだ…って詰め寄られると、揺らがないといえば嘘になる。それでもオレはある種のピュアイズムというか、自分の信じる道以外を否定してかかる方法、ある種の原理主義みたいな考え方も好きではなくて、もっと矛盾していたり、汚れてたりしながら、それでも一本筋を通す 見たいな方法で音楽をつくれないかな…なんてことを今も真剣に思っている。

書いていて、もうひとつ重要なことに気がついたけれど、オレはよく「音楽になる」というような書き方をしてしまっていて、これも本当は検討の余地ある部分なのだ。いったい音楽になる…ってなんだ。あきらかになんらかの基準があるから、ある演奏に対して、これはいい…とか、駄目でしょ…とか、音楽になってるとか言えるのだけど、たとえば同じような即興をしていても、はっきりと、あ、違うなとか、ひどい時になると、いんちきじゃん…なんて思うことがよくあって、でもこれっていったい何を根拠にアンテナを動かしているのか自分でもちゃんと把握してないことって結構多い。ただはっきりとこれはいい…とか、つまんないなあ…とかって、バロメータが確信を持って強固に動いたりするのだ。これってなんなんだろう。こうしたことを理論化するのではなくて、常に頭の中のひっかかりにしていたい…そう思っているのだ。

あれれれれ、なんだか質問と違う話になってしまった。きっと質問した人はこんな答えを聞きたかったんじゃなくて、まわりをうまい人でかためて音楽つくるのは卑怯だ…って言いたかっただけなのかもしれない。オレはあんまりそういうこと考えて音楽やってなくって、組むメンバーってのは音色と友人関係というか、一緒に仕事してていい感じでやれる人と常に組んでるってのが偽らざる答えでもあるんだけどね。一緒にやってる人には失礼かもしれないけど、彼らが上手いから呼んだんじゃなくて、オレのやろうとしていることを一緒にやってくれそうで、しかもある共通の音楽の趣味があってなんかうまくやれそうな気がしたからバンドを組んだのだ。それに、打ち上げやツアーしていて面白いってのはオレにとっては音楽と同じくらい重要なことなんだけどね。これも音楽にとってものすごく大切なことだと思っているんだけどね。わかっていただけました?


追伸:今サンフランシスコのダウンタウンのホテルに到着。こっちは本当に春みたいなポカポカの晴天です。ここに来るのはマークレイとの録音以来だから4年ぶり。あさってからはROVAサクスフォン・カルテット25周年コンサートでわたしやイクエ・モリ、フレッド・フリス等多数ゲストが参加してスティーヴ・レイシーの曲やコルトレーンのアセンションなんかをやったりします。楽しみ。

さて日記をアップしたら中華かヴェトナム料理でも食いに行こう。


Last updated: February 8, 2003