Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記別冊 連載「聴く」第20回

最終章 その2「音の良さ オーディオ編」

音の良さって何だろう? たとえば20世紀のオーディオ装置の歴史は、いかに音を良くするかのための技術競争の歴史だったと思うのだが、これって要は、いかに原音に忠実な再生装置をつくるか…という話で、エジソンの蓄音機に始まり、もうとろけるような豊穣な音色の高級HiFiオーディオに至るまで、たしかに過去100年のオーディオの再生技術の進歩たるや、ものすごいものがあったわけで…。でも、かつて、どこの街にも数件はあった高級オーディオ専門店って、今ほとんど見かけなくなりましたよね。あるけど非常に少ない。なんでだろう。

わたしが中学生だった70年代の中ごろには、自分の部屋に安くてもいいからステレオを持つのが夢だったりする男の子が結構いました。でも皆お金がないから、現実はラジカセで諦めて、そのかわり、ステレオを持っている友達の家にたまったり、アルティックやJBLの高級なスピーカーがあるジャズ喫茶やロック喫茶に通ったわけです。そうやって皆で共通の音楽を聴いていた。ところが、いつの間にやら、僕等は音楽を個人で聴くようになる。80年代、ウォークマンの登場です。同じ部屋で同じ空気の振動をあびて音楽を聴くのではなく、鼓膜を直接振動させるヘッドフォンステレオが音楽聴取の主流になったのが今から四半世紀前のこと。僕等は高級オーディオ専門店ではなく、安売り家電屋で2〜3万円のウォークマンを買うようになり、いつのまにか高級オーディオ店は一部の趣味人以外は行かない店になってしまいました。

なんでこんな昔話を長々と書いたかというと、実はオーディオの歴史には2段階あるのではないかという話をまずはしたかったのです。最初の段階が、いかに音を良くしていくかという段階。技術者が主役です。これはアナログの時代でかなりのレベルまで到達します。で、次の段階が、いかに聴くかという段階。80年代のウォークマンの登場、DJカルチャーやクラブ文化の台頭は、この流れです。ようするに、つくり手が、これがいい音ですよと啓蒙的に商品を開発販売していた時代から、聴き手のほうが、自分のニーズにあわせて自由に聴取環境を設定できる時代の幕開けが80年代だったわけです。このころからオーディオはデジタル化していき、値段もどんどん安くなります。

これは音をつくる側にもいえる変化です。最初の段階ではまずはなるべく原音に近い録音というのが、常にテーマでした。ところが、ある時期から録音でなければできない音楽というのが生まれてきます。たとえば80年代に入るとポップスのドラムの音には特殊なリバーブやコンプレッサーが大胆にかかるようになります。実際のドラムの生音とはかなり違うニュアンスの人造的な音が録音物として普通に流通するようになったのも、ウォークマンが出だした頃からです。90年代にはいりテクノやヒップホップが音楽の主流になりJPOPが今の姿をしだす頃から、すでに世の中に流通する音楽の多くは、生音が基準の音楽ではなくなっていきます。ジャズやロック、クラシックのように原音という考え方が通用しにくい音楽が当たり前になっていくわけです。

「生の音に近い」というのが聴く側の基準ではなくなっているのは今や明らかで、なぜなら僕等の多くは、実際に生の演奏をほとんど聴いたことがないか、聴いていたとしても、たまにしか聴いてなくて、実際に聴く音楽のほとんどは録音されたものだからです。おまけに今やコンサート会場で流れる音は、生の音に近いものではなくて、普段CDで聴いている音に近いものにする…という逆転現象すら起こってくるわけです。

さて、こうなるといったい音の良さという基準はどこに置いたらいいのでしょうか? そもそもテクノのように生音のない音楽だけではなく、今やほとんどのポップスは、原音を録音の素材と考えて、徹底的に録音技術によって加工することによって成り立っています。そうなると生の音になるべく近づくことだけが、いい音の基準ではありえなくなってきます。なにしろ基準になるのが生音ではないわけですから。それだけではありません。聴く環境も人それぞれ様々で、集中して部屋でじっくり聴きたい人もいれば、通勤途中に本を読みながらヘッドフォンで聴くのが好きな人もいるかもしれません。レストランやカフェで小さな音でうっすらと背景に流すのを好む人いれば、クラブの大音量を浴びるのが好きな人、カーステレオでベースをぶいぶいいわせないと満足できない 人、iPodでシャッフルさせて聴くのが好きな人…本当に千差万別なわけです。

それでも、たしかに僕等はこれが良い音だって基準をどこかで、たしかに持っています。具体的には音の生々しさとか、迫力とか、きらめきとか、メリハリとか、やわらかさや硬さとか、聴いていても疲れないとか、音の広がりとか、そういった言葉で表される基準で僕等は明らかに音の良さを判断しています。この場合でいう音の良さっていったいなんなんでしょう? いったいどこからくる基準なんでしょう? このへんの問いを残したまま、さらに話は次回へ。


Last updated: November 1, 2005