Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2004年1月末〜2月中旬)

どうも〜。なんだかJAMJAM日記、ものすごくご無沙汰してしまいました。皆さんお元気ですか?

わたしのほうは昨年からガタガタだった体調、ぎっくり腰を除きどうにかよくなって、今年に入ってからも関西、ベルリン、ウィーン、サンフランシスコと忙しく飛び回っております。例年悩まされてる花粉症は、1月から抗アレルギー剤を飲んで、しかも2月末から日本を出る…という作戦で、ほとんど症状も出ずにすんでおります。こんなの何年ぶりだろう。もっとも今年は花粉が少ないみたいなんで、どのみちみんないつもよりだいぶ軽いみたいですが。

で、今はサンフランシスコでDVDの撮影中です。映画の仕事をさんざんやってきたくせに、自分が被写体になるのは今回が初めてで、いやもう慣れないことはなはだしい。撮影されるってのはいやなもんです。でも撮影の常、待ち時間が沢山あるおかげで、その時間を利用して文庫本を読んだり(相変わらずちゃんばらモノばっかです)、原稿を書いたり、でこうしてJAMJAMを久々に書いたり…。忙しいような、のんびりしているような、へんな感じであります。

では久々1月末から2月中旬のJAMJAM日記です。


@月@日
明大前キッド・アイラックにてアンドレア・ノイマンとアネッタ・クレブスのDUO。彼女達の数年前の演奏にとても衝撃を受けたせいか、オレの期待が大きすぎたのかもしれない。う〜ん、こんなもんじゃないはずなんだけどな〜と思いながら演奏を聴く。素晴しい演奏だったのは言うまでも無いのだが、でも、しかしなのだ。慣れない日本で2人があがっていたのは確かで、そのせいもあったかもしれないが、そういうことだけではなくて、もっと根深い問題をはらんでいたように思う。まずは彼女達が数年前にくらべ非常に上手くなった点。でも、この「上手い」というのはいい意味だけではない。おそらく欧州では彼女達のような演奏を受け入れる土壌が沢山あって、そこで彼女達がもまれているうちに、なんだか普通の欧州の即興演奏のようになってしまった感じがするのだ。それのどこが悪いのか…といわれれば、別に何も悪くない。彼女達が古い世代に受け入れられ、彼女達にもその影響が出るのはむしろいいことなのかもしれない。でも、オレはどこかでそういった従来の方法ではない何かに向かうであろう彼女達を期待しすぎたのかもしれない。それともうひとつ、こちらも根深い問題だけど、2つの弦楽器から弦の音がちゃんと響かなかったのが非常に気にかかる。これは昨年来たマット・デイビス等にも言えることかもしれないが、非常に優れた演奏能力を持っているはずの音楽家が、何か別の方法をさぐるなかで、楽器の特性そのものを見据えることを回避するような方向を目指しているのだとしたら、それでいいのだろうか…と素朴に疑問に思ってしまう。今の即興の潮流が、楽器の持つ特性に正面から向かわずに音を出す(あるいは出さない)方向に行っているのだとしたら、オレははっきりとそのことに否定的だ。弦の楽器なら弦の出す音に正面から向かってなんぼじゃないだろうか。そう考えるオレは古いのだろうか? とにかくいろいろ考えさせられるという意味では重要なライブだった。

@月@日
新宿PIT INN。ONJQ2デイズ。入りきれないくらい来て下さった皆さん、本当にありがとう。初日は朋友菊地成孔のラストでもあると同時に、次のサックス奏者アルフレッド・ハルトとの初共演。彼をむかえ、これから僕等はどこに行くのだろう。楽屋でジョークをとばし続けるハルトを見ながら、バンド内に異なる言語を使う人間が入るってのはいいもんだな〜と、つくづく思う。馴れ合った空気がなくなるからだ。

@月@日
2日目。今日も昨日以上のお客さんの入り。この日はONJQとは名ばかりで7人編成。オレ個人としては新しいバンドの始まりでもある。ここのところパワープレイに行きかちだったバンドの方向をもう一度初心にもどすことにする。高良久美子のヴァイブラフォンとSachiko Mのサイン波のもたらす意味が生きなければ、オレがJAZZをやる意味なんてないからだ。これからの方向が少しだけ見えてきた気がする。バンド名…どうしようか。

@月@日
福岡に新しく出来たギャラリー「テトラ」でレクチャーとギターソロのライブ。いつも思うけど、何かが新しく始まる現場ってのはいいもんだ。がらんと薄ら寒い木造家屋を見たときに、初めてオフサイトに行ったときのことを思い出した。このがらんとした何もないスペースでこれからいろんなことが起るんだろうなあ。そんなことを考えると自分のことのようにうきうきしてくる。オフサイトでは近隣に気を使って小さな音の演奏しか出来ないのだけれど、それが逆にオフサイトの音楽の個性を作ることになった。ここはなんと隣の居酒屋の親父の声が始終もれ聞こえてくる。オフサイトのように環境が新しい音楽をつくるとしたら、ここは隣の親父とどうつきあうかが焦点になるのか…ってそんなわけないか。いや、そうでもないだろう。きっとなんらかのファクターになるはずだ。演奏が終わると打ち上げは自動的に、隣の居酒屋へ行くことに。なにしろ頼みもしないのに、この親父が席を設けているんだから逃げるわけにいかない。親父は開口一番、「いや〜もう、あんた何やってんだかまったくわからん。あれならわしでも出来る」と耳をふさぎたくなるような大声で言われてしまう。「いやいや、それはさておきさ、親父さんの初恋の話がききてえなあオレ」なんて返しながら、テトラ立ち上げメンバー十数名とわいわい楽しく打ちあがる。多分この親父、この界隈のアートシーンの名物になるんだろうな〜。頑張れテトラ! 親父に負けるな。次は秋に杉本拓と行く予定。

@月@日
山口YCAMで池田亮司のコンサートを見る。バージョンアップした前作の隙のない凄さに打たれつつも、この方向でいいのだろうかと自問しながら見てしまった。生理的に惹かれつつも、でも何か感じる強い違和感…。それとは正反対なのが隙だらけの新作だ。彼の葛藤がそのまま出ている分、逆に親近感を感じる。いずれにしろこちらの生き方そのものまで問い返さなくてはいけないような何かがその両作品にあるのも事実で、う〜ん、池田さんの動向はやっぱり気になる。本当にすごい作家だと思う。わざわざ山口まできて見たい作家の作品なんてそうはないもんなあ。打ち上げには日本中からいろいろな知人友人がきていてびっくり。山口まで皆を越させるんだから。こんなところも池田さんの凄さか。

@月@日
広島でヨーコオノ展を見る。視聴覚の全てを緊縛するかのような池田さんの作風とは正反対に、特に初期のオノ作品はこちらの視聴覚の扉を開け放ってくれるような自由な開放感がある。だれかが彼女のことを巨大な不思議ちゃんと言っていたが、まさにそんな感じ。近年の平和への願いをこめた作品もいいけれど、何か強烈にとんがりつつも、でも人の感性をやわらかく開放してくれるような60年代の作品が圧倒的に面白かった。

@月@日
高円寺円盤にて副島輝人、沼田順とともに日本のフリージャズをテーマにした鼎談。フリーについては、なんだかしゃべりたいことが沢山あって、鼎談なのに、ひとりで独走してじゃべりすぎてしまった。副島さん御免なさい。でも、副島さんや沼田さんとしゃべっている中で、今まであいまいだったことが明確になってきたような気もして個人的には有意義な時間だった。このへんのことは、いずれちゃんとした形でまとめたいと思っています。

@月@日
明大前キッド・アイラックにてアクセル・ドナーのソロ。JAMJAMの号外にも書いたけれど、本当に素晴しかった。感動で、足がガクガクしたくらいだ。個人的には池田亮司、ヨーコ・オノときて、副島さんと語った日本のフリージャズを経過しつつ、今日のアクセルのソロで、何かぴたりと今現在に照準があった感じがした。「そう、そう、これだよ」みたいな感覚とでもいうか。トランペットでなければ出せない音だけで、完全なアコースティックであそこまでやられたらもう感動するしかない。翌日の大蔵雅彦、Sachiko Mとアクセルとのトリオも素晴しかった。大蔵くんがあんなすごい音楽家になろうとは、初めて会った10年以上前には想像もつかなかった。もっと評価されるべき音楽家だと思う。この2日間、あまりの素晴しさに躁状態のようになってしまう。

@月@日
躁状態が続いたまま、東急ハンズで大量に小型モーターを買い込む。なぜかモーターしかない…と思ってしまったらしい。自分のことなのに「らしい」と書いたのは、なぜモーターという発想になったのか、今考えるとよく覚えていないからだ。でもあのときはこのモーターこそが次のオレの音楽の重要な…って思って、ネットでいろいろ検索しまくって、ハンズで各種モーターを購入したのだった。でも、お恥ずかしい話ですが、今現在部屋にはそのとき買ったモーターがいくつもころがっております。大部分は使いこなせずに終わりました。え〜と、そんなわけでモーターから次は見えなかったことになります…しゅん。そうそう簡単に「次」が見えてくるわけがない。ま、いいや。試行錯誤、試行錯誤。ターンテーブルとギターを演奏する電気音楽家は、カートリッジとモーター、レコード、それに弦が電気とともに響くことに正面から向かえばいいのだ。


Last updated: March 22, 2004