Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2000年6月)

(フリーペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

今月、来月と2回にわたり、5月にユーゴスラビア・セルビアの首都ベオグラードで行われた風変わりな音楽祭RING RING2000をレポートする。

@月@日
昨年NATOの空爆で行くことが出来なかったベオグラードにやっと帰って来ることが出来た。気温30度。3年前の同じ日、解散前夜のGROUND-ZEROとともに入国した時もおなじような気候だった。空調のない会場にあふれる数百人の人々、強烈な熱気、あの時の記憶が気候とともによみがえってくる。再開したばかりのベオグラード空港はさすがに閑散としている。ここでフェスの主催者ボヤンと再会。ほとんど情報のはいってこないこの国で、彼は10年以上にわたり、コンサートを企画し、優れたミュージシャンを独力で呼びつづけている。5年前に始まったRING RINGはそんな彼の活動の集大成だ。東西の個性的な音楽家達の合流点にもなっていた。昨年5月、開催が不可能になったかに見えた戦時下のベオグラードから彼の出した1通のEメールがもとで、世界各地のミュージシャンが動き十数カ国でRING RING AROUND THE WORLDが開催されたのは昨年のJAMJAM日記(1999年5月および6月)に書いたとおり。世界各国でのフェス開催にオレはもりあがったけれど、終了後彼から来たEメールがずっとひっかかっていた。「世界中でこのフェスが開催出来たのは素晴らしいことだけれど、こんな形の開催は2度とやらないですむことを祈っている」。5年目になる今年のRING RINGは今までで一番小規模だ。でも空港で再会したボヤンの笑顔を見てオレはなんだか安心した。

@月@日
ここで合流したエレクトロニクスの中村としまる、Sachiko M とともにベオグラード市内を歩きまわる。3年前同様活気ある安全なショッピングストリート。豊かな品ぞろえのコスメティックショップ。カフェでくつろぐ人々。そんな中で一番変わったのは街行く女の子のファッション。めちゃくちゃセンスがよくなっている。3年前とはえらい違いだ。遠くに空爆で廃墟と化した独裁者ミロシェビッチ系列の放送局の高層ビルが見える以外、突然来た呑気な日本人には、あの空爆がなんだったのかさっぱり見えてこない。豊かになったようにすら見える。が、そう思ったのは初日だけだった。

@月@日
「この香水屋はさ、ミロシェビッチの親戚がやってて税金をはらう必要がないから世界一安く高級化粧品が手にはいるんだ」。ここで知り合った友人がオレに「日本で売ればもうかるぜ」とニヤリ。そうだった。ここは戦争どうこう以前に独裁国家だったんだ。街が安全なのも当然で、警察が強力すぎてマフィアもチンピラも生き残れないだけなのだ。幹線道路にはガソリンから家電、台所用品まで日用品を売る人々が沢山でている。自分の持ち物を売っているのだ。ちょっと見にはわからないが経済は破綻。当然生活なんてできない。それでもロシアのような殺伐とした感じがないのは、国民性か、それとも他の理由があるからか。街には相変わらずファッショナブルな人々があふれている。そんな疑問だらけの風景を見ながらフェスの会場へ。今年の出演者はぼくら以外は近隣の東側諸国からと地元のミュージシャンが大部分を占める。今ひとつパッとしない東側からの音楽をよそに、この日一番面白かったのは地元ベオグラードの若いドラマー、メマンジャ・アキモビックの人力テクノとでも呼べそうなソロだった。ドラムセットに簡単なエフェクトをかけただけのシンプルなセットから出てくる音はまるでウィーンのミニマルジャズユニット、ラディアンや、日本のサーモを思わせる。無論彼はそんな音楽をまったく知らない。3年前とはうってかわって、大きなホールに会場を移したせいか、フェスのあの熱気はなくなったかに見える。それでも彼の音楽の中にオレは確かにあの3年前の強烈な匂いを感じた。その正体がなんだったのかは次号で。


Last updated: June 15, 2000