Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(98年6月)

(フリーペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

@月@日
2カ月におよぶI.S.O.のツアーも後半戦。パスタの国イタリアで僕らはおおいに食べて、呑んで、多くの友達と出会い、そして演奏して…。でも楽しみすぎたか、でっかいツケがローマで回ってきた。この日僕らはローマ最大の某スクワッドのフェスで演奏するはずだった。19世紀の刑務所跡をスクワッドした巨大な会場につくなり、その仕切り悪さにメンバー、スタッフともいらいらがつのる。なにしろ3時入りしたのに、夜の11時になってもまだPAの準備が終わらない。会場にきている客の多くは演奏開始を待ちきれずに帰る者も。やっと始まったのは1時すぎ。皆のイライラはピークに達していた。しかもPAのセットをし終える前の見切り発車で演奏開始。この後のことはここに書くのも下らなすぎて嫌気がさすような事態で、夜中の2時半には、会場は暴動のようになっていた。客席からステージ上まで真っぷたつに割れてイタリア語の大ゲンカ。コンサート会場で命の危険を感じたのはこの時か初めてだ。言葉のわからぬ僕らは騒動に参加することもできない。僕らから楽器を奪おうとする奴らや、オレを逆恨みして叩き殺そうとする奴から身を守るのが精一杯だった。何人かの屈強な友達のガードで、逃げるようにスクワッドをでる。スクワッドの思想なんて、馬鹿のたまり場になった時点であっけなく崩れ去る。この日をもってオレのスクワッド幻想は完全に消えた。オレはオレの為に演奏する。そこになんらかの楽しみなり意味や興味を持つ者が聴いてくれればいい。

@月@日
沢山の素敵な時間と数時間の苦痛を味わったイタリアを後にサンフランシスコへ。I.S.O.の3人は尊敬するサンプリングの先駆者ボブ・オスタータグの家にやっかいになる。彼とともにレコーディングしたり、散歩をしたりと穏やかな数日間を過ごす。庭になってる枇杷の実を食べながらのレコーディングは最高の時間だった。サンキューBob!

@月@日
やっと東京に戻ったのもつかの間、すぐにI.S.O.の西日本ツアーにでる。車で十数時間かけて山口市へ。ここにはI.S.O.を作った張本人の一楽義光の自宅がある。松原幸子と私はここに数日お世話になって、3人で九州、中国地方をまわる。彼の自宅は田んぼの中の一軒家。ここの床下スタジオで、奴はあの誰にも似てないケッタイな音楽を作ってるのだ。夜になると家の回りはホタルでいっぱいになる。奥さん、息子さん、娘さん、そしておばあちゃん、みんなとっても素敵な人達で、なんだか別世界にいるような気になる。こんな環境で、なんであんな音楽が生まれてくるのか。謎は益々深まるばかりだ。

@月@日
大分公演でゲスト参加の地元のサックス奏者山内桂氏の演奏に度肝を抜かれる。派手な事は一切やらないけれど、そこにははっきりと彼の音楽があって、音響的なサックスのアプローチがどんなものかを、初めて見せてもらった気がする。山口の一楽氏といい、強力な音楽家が、僕らの知らないところにまだまだ沢山いるのかも知れない。

@月@日
久々の東京での生活。佐々木敦氏から届いた彼のレーベルmemeの第一弾のコンピをまずは聴く。大名盤。こんなCDを家で聴いたり、近所に住む友人達とメシを食ったりって時間が一番嬉しい。でもまた来週から1カ月ほどレコーディングやコンサートでサンフランシスコとリスボンに行かなくてはならない。贅沢な悩みと言われそうだけれど、吉祥寺の狭いアパートでぎんぎんにクーラーをきかせてマンガやヴィデオをだらだらと見ていたいと切実に思う今日この頃だ。


Last updated: October 17, 1998