Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2002年8〜9月)

今回はストックホルムから東京に戻る途中、寒々としたオスロの空港での長い待ち時間を利用してこれを書いています。空港ってのは本当に退屈なところで、退屈ついでに、この1年間で何時間空港の待合室にいたのか計算してみたら、なんと少なく見積もっても58時間…う〜ん、世界中の空港はアムステルダムのスキポール空港みたいにカジノをつくったりすべきだ。ちなみにオレが世界で一番好きな空港は札幌の千歳新空港。いい感じのお土産屋的売店が充実していて弁当がそこそこ旨くて、夕張メロンソフトなんかを立ち食いできたりで、レストランのクオリティとコスト・パフォーマンスのバランスが空港としてはいいほうなんじゃなかろうか。あ〜日本食が食いたい〜。そんなわけで今回は前回の帯広でのソロに続いて8月30日から9月1日にかけての日記「北海道編その2」をどうぞ。

北海道編その2

@月@日
札幌。ANODE全曲の初演。長方形の会場には客席を取り巻くように壁に沿って芳垣安洋 (ds)、Sachiko M (sine waves)、植村昌弘 (ds)、西陽子(筝)、杉本拓 (g)、一楽儀光 (ds)、秋山徹次 (tt)、イトケン (ds)、高良久美子 (vib, perc) そしてオレの10人が円形に陣取る。会場には100人ほどの人々。この会場にはちょうど良い人数だ。

最初のセットはANODE #2, 3。静かな作品だ。360度様々な方向から聴こえてくる音達。CDでは再現出来ない世界。ドラマーの4人はこの曲では弓を使った金属楽器やベル等を演奏、様々な音がモジュレーションしあいながら刻々と色彩や表情を変えていく。実際には個々のミュージシャンの出す音は表情が込められないようになっているので、そう聴こえるのは、音と音の化学反応のような混ざり合いによる色彩変化と同時に、聴き手の耳のほうでバラバラな音を関連付けて何らかの表情のようなものを認識していることになる。時間とともに耳が開いてくるのがわかる。演奏している僕等自身もこの「認識」のレベルではまったく聴き手と同等だ。

セカンドセットはANODE #1。4人のドラマーが全力で轟音を出し続ける中、他のミュージシャンはランダムなノイズを放射し続ける。最初のセットとは打って変わって大音量。しかもPA等を使わないアコースティックによる大音量作品だ。360度様々な方向から音が放射される点は最初のセットと同じだが、今度は音の密度と音量が極限近くまで来ていて、個々の音を聴き取るのは困難だ。静かなセットとは対照的にこちらの耳にも自然とコンプレッサーというかリミッターがかかる。聴衆には演奏中、自由に歩き回ってもらった。バスドラの前に屈み込む人、中央で目を閉じ立ち尽くす人。バイブラフォンの下に入り込む人、ぐるぐると歩き回りながら一人一人の出す音を確認しようとする人。舞踏のように動く人。どちらが見ているのか、見られているのか…。東京からきた若きミュージシャンのドイウロコや、登校拒否になった10代の頃からオレのライブに来てくれて、今や建築関係の世界で賞をとるまでに成長した灘本さん、美術家の長谷川さん、敬愛するピアニスト寶示戸さん、小説家でもある沼山さんの奥さんの姿もちらほらと見える。目の前をどんどん流れる人々。演奏する僕等にしてみれば人の動きで聴こえてくる音がまったく変わってしまう。人が前に立ちはだかると、その方向の音、特に高音域が聴こえなくなる。それ以前に自分から距離の遠いミュージシャンの音は、近くのミュージシャンの轟音に埋もれてしまい、ほとんど聴き取れない。30分間ノンストップ、ほとんど体力の限界に近い演奏。後半はそういった思考も停止して、意識だけは醒めたまま、ほとんど肉体と体力と耳と音の間のこれまでに無い体験としか言いようの無い状態になる。聴いているほうはどんな体験をしたのだろうか。それこそ前半以上にCDでは再現不可能な音響体験だったのではないだろうか。自分でもまだ解析不能なこの2つの作品が今のオレの一番の興味だ。機会があればもっとやりたい。

終演後はいつものように打ち上げ。みなさんお疲れ様〜。主催者チームとわいわいガヤガヤ一緒に北海道の秋の幸を。こっちにしかいない魚の八角(この字でいいのかな?)やら、油ののった秋サンマ、新鮮なイカの刺身…。もうたまりません。深夜もまわってホテルに戻ったあとは、今度はわれ等がキャップ秋山徹次の部屋にミュージシャン全員、勝手に押しかけ焼酎やウーロン茶を囲んで明け方までわいわいガヤガヤ。「なんでオレの部屋なの」と最初はいやがっていたキャップといつもはクールな芳垣が一番楽しそうだ。こういう時は音楽の話なんて野暮なことはしない。どうでもいいような、ひたすら面白い話に明け暮れるのだけれど、どうしてどうして充分深い話だったりして…でも、ま、内容のほうは書かぬが花かな。笑いすぎて翌日顎の筋肉と腹筋がおかしくなった。こんな時間があるからミュージシャンはやめられない。

@月@日
釧路芸術館。オレの作曲、島田雅彦作朗読による『ミイラになるまで』の最終公演。今日はリハーサルのみで、その後は皆で魚の編み焼き屋へ。断食自殺者の話だってのに、皆もうお構いなしにものすごい勢いで魚を平らげる。ほんとうめえや。そのあとはミュージシャンと島田さん、それに芸術館の若い女の子達とレゲエの流れる店に流れて再びわいわいガヤガヤ。やっぱりツアーは国内がいいや。食いモンも旨いし、日本語でずっと下らないこといってられるのもいい。

さて今回の『ミイラになるまで』は、島田さんが実際に断食自殺した男の日記をもとに書いたセミ・ドキュメントのようなフィクションで、舞台は釧路湿原。この作品にオレが音楽を付け出してからすでに9年。なんで音を付けようと思ったのか今となっては思い出せないが、はじめは島田さんの許可も得ずに勝手に公演したりしていたのが、いつのまにか島田さん自身が朗読するようになり、9年間にわたり何度も公演し、CDも国内盤を1枚、もうじきオーストリアから出るドイツ語のライブ盤が1枚、公演や録音毎に作曲内容も変更、参加ミュージシャンも朗読者すらも毎回変更しつづけた。断食自殺者の日記という結果のわかっている作品にこだわりつづけて毎回更新しつづけたのはなん でなのか…自分でも本当の理由はよくわからない。毎回違う答えが見えては消え、また見えては消えするせいかもしれないし、謎の自殺者の不思議な魅力にとりつかれたのかもしれない。が、もう9年もやって、そろそろこの自殺者を解放してあげたくなってきた…というか、オレが解放されたくなったのかな。とにかくこの作品の舞台となった釧路での公演がいい機会と思い、これを最終公演とすることにした。もっとも島田さんのほうは、今後もこの作品の朗読をいろいろなミュージシャンとつづけるつもりらしい。

@月@日
最終公演。苫小牧からライブハウス、アミダ様の店長、世界一ファンキーな愛するツルさんがかけつけてくれる。うれしい。敬愛するジャズ喫茶ジスイスのマスター小林さんの顔も見える。今日のミイラはいつもの公演より心なしか明るい。いくつもの楽器が風のように、あるいはただの物音のように島田さんの朗読と響きあう。ラスト、暗転とともに長い沈黙…の予定が、会場からいきなり大きな拍手が起こってしまった。う〜む、沈黙を聴かせたかったなあ〜。ま、しめっぽい終りよりはいいかな。自殺者のミイラさん、長い間つきあってくれてありがとう。不謹慎かもしれないけれどオレはすごく楽しかった。それから、これまでに参加してくれた多分数十人を越すミュージシャン、何人かの朗読者、そして沢山のスタッフ、オーガナイザーのみなさん、御大島田さん、そして今回山のように世話になったNMAの沼山さん、キャロサンプの野田っち、運転してくださった末木さん、なにより今回の立役者釧路芸術館のみなさん、特に学芸員の福地さん、本当にどうもありがとう。素晴らしい最後を飾れました。またいつか朗読と音楽を別の角度からやってみたいと思っている。そのときはよろしく。


Last updated: October 12, 2002