Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2000年10月)

(フリー・ペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

@月@日
ドイツ、韓国、中国とまわり帰国早々休む間もなくNEW JAZZ QUINTETのメンバーとともに北海道へ。久々の国内ツアーだ。こっちじゃとてもお目にかかれないようなうまい魚にありついたり、途中病気で倒れる奴がいたり、そのおかげでかわりに小樽在住の強力なサックス奏者、奥野さんが参加、いい出会いができたり、メンバーにちょいとしたLOVE STORYがあったり、いった先々の打ち上げで地元のこだわりおじさん達の愛情あふれる激しい攻撃をひいひい言いながら楽しく交わしたり、さらに途中から合流したもうひとつの私の現代音楽プロジェクトCATHODEが予想以上の演奏をしたりと、いつものツアー以上に話題と成果にことかかない内容。企画をしたNMAの沼山さんのシビアな批評がズシーンと来る。国内ツアーもいいもんだ。NMAはじめ各地の主催者には本当に世話になった。感謝。

@月@日
釧路から単身愛知県一宮へ。ここでは十数年来の友人の伊藤くんがプレゼンチという小さいバーをやっている。ブラジル音楽や60'sポップス、ビバップにアバンギャルド、ありとあらゆるオレ好みの音楽が始終かかっている店だ。ほとんどカウンターだけのこの店でソロ演奏。終演後はべろべろに酔った彼と下戸のオレ、それに地元の友人達で明け方まで飲み明かす。こいつは帰りぎわにいつも寂しそうな顔をしやがる。わかった、わかった、また来るからよ、じゃーな。

@月@日
一宮から名古屋へ向かう途中、洪水の被災地を通過。水が引いて2日目。あたりはもすごいことになっていたが、晴天の中、老若男女沢山の人々ががれきをかたづけている風景は、悲惨というより、むしろ希望に近い印象だった。人間にはそういうパワーがある。今日の目的地は名古屋の映画館シネマスコーレ。1993年オレが初めてサントラを作った中国映画「青い凧」の音楽をここの映画館で再演するためだ。来る途中に見た被災地もすごかったが、この界隈のホームレスのおっさん達が公園で大量の布団や衣類を干している風景も壮観。「青い凧」は中国の文革前夜を描いた作品で、この中でいろいろな政治的事件が起こり、主人公達を翻弄するのだけれど、オレはここにあえて明るい静かな音楽をつけた。その音楽と公園に干された大量の布団がオレにはオーバーラップして見えた。

@月@日
3カ月前にヒースロー空港の事故で行きそこなった広島のカフェ・テアトロ・アビエルトへ。古い友人広島リアルジャズ集団の権田くん達が精魂込めてつくったコンサートや演劇もできるレストランだ。本格派のカレーは絶品。前回こけら落としに行けなかったお詫びもかねて権田くんの好きなビクトル・ハラの曲を演奏したら、お客さんから今日はビクトルハラの命日ですよと指摘される。365分の1の偶然。27年前の今日、チリで起こった軍事クーデターで彼は拷問死している。

@月@日
2カ月前の大片づけで、厄払いをしたつもりだったが、厄年はそんな甘いもんではなかった。JAMJAM日記から仕事のメールに至るまですべての事務仕事をオレはコンパクトなモノクロのモバイルでやっている。ワープロ感覚なんで、コンピュータが苦手のオレでも簡単に扱えるのだ。で、今日も締め切り間近のJAMJAM日記をせっせと打っていたら「メモリー不足」の表示。それならと、モバイルのデータを試しにノート・パソコンのほうに移してみることにした。が、これが案の定、どうやったらいいのかよくわからない。電子音楽を20年もやっているくせに、おれは極度のデジタル音痴なのだ。マニュアルを引っ張り出してきて、なんのかんのと苦労すること数時間、夜も白々とする頃、努力の甲斐あってどうにかデータを無事移すことができた。やればできるじゃん。ほんのり芽生える自信と幸福。これでこれからも大丈夫。ほっとひと息コーヒーでもと勢いよく立ちあがったのがいけなかった。電源コードを足にひっかけてしまい、ノート・パソコンは見事な打撃音とともに木の床を直撃。落ちる瞬間がスローモーションに見えたのは言うまでもないし、その音も文字にすればグワシャンという鈍くて重い音。凍ったように止まる時間。しばしの沈黙。…祈るような気持ちで再起動したのだけれど…。この瞬間、過去何年間かの仕事の資料と原稿はすべて消えてなくなってしまった。バックアップ? そんなもん…しょぼん。なにもわからないくせにIT革命とかいってるどっかのお間抜けな首相をオレは笑えない。今日は真の厄日だ。


Last updated: October 23, 2000