Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

大友良英のJAMJAM日記(2000年12月)

(フリー・ペーパー「Tokyo Atom」に掲載。)

@月@日
ブリュッセルのシアターでFilamentのコンサート。会場の四隅に置かれた巨大なスピーカーを使って、極めて静かでミニマルな40分間の演奏。客の服と服が擦れる音すら浮き出て聞こえてくる。この日は意地でもベストコンディションでいい演奏がしたかった。実は1年以上も前から、ある現代音楽の作品を演奏するために同じ時期にブリュッセルの大きなフェスティバルから呼ばれていた。某有名アンサンブルのゲストとしてだ。もともとFilamentはこのコンサートの関連イベントとして組まれたコンサートだった。ところが直前になって突然ベルギーの友人からコンサート自体がキャンセルになっていることを知らせるメール。主催者もアンサンブルも、責任のがれに終始するばかりでラチか開かない。すでに飛行機の手配も終えた後で、このままだと、オレが渡航費をかぶることに。大きな組織や会社がやることは、結局いつもこれだ。問題が起こったとき責任の所在がはっきりしないし、契約書だって裁判を起こす能力(財力)のない個人にはほとんど意味なんてない。結局この事態を憂えた友人が各方面に働きかけて渡航費まで出させて、かなりの好条件でFilamentのコンサートを企画しなおしてくれたのだ。だから、その彼の為にも絶対にいい演奏をしたかった。演奏終了後、すぐにライブCD化の話がくる。サクセス! こういうとき信用できるのは友人だけだ。Thank you, Rony!

@月@日
スロバキア国境。警備隊がバスに乗ってきたときなんとな〜くいやな予感は あった。6年前に一度ハンガリーの国境でヴィザがなくて、1時間だけ留置場に入れられたことがある。それ以来、ヴィザには気をつけていた。おなじ6年前、オレはたしかにヴィザなしで、スロバキアに入国している。でも、そんな記憶はなんの役にもたたなかった。日本パスポートを持つ者はヴィザがなければこの国には入れないという決まりが2000年11月の時点ではっきりあったのだ。「バスを降りろ」と命令する拳銃を持った警備隊員。な〜んにもない国境。バス停もなければ、公衆電話もない。タクシーだって通らない。どうすればいいのか聞くと、10Kmほど歩けば町があるからそこでバスに乗ればいい…だって。おいおい。氷点下0度の中40kg 近い機材を持って10km も歩けってのか。よ〜し、こうなりゃヒッチハイクしかない。が、誰ひとり止まってくれない。というより、こっちを見ないようにしてる。国境で帰された人相悪しき大荷物の東洋人なんて誰だって乗せたくないもんなあ。あ〜あ、明日のコンサートはどうなるんだ。だいたいオレ、このあとどうなるんだろう。なんてぼ〜っと考えていたら、見かねたオーストリア側の国境警備隊員が空のバスに掛け合ってくれてウイーンまで帰れることに。ほっ。今日はあったかいスープでも飲んで、ゆっくり寝よう。すべては明日だ。

@月@日
早朝から駆け回ってウイーンのスロバキア大使館で無事ヴィザをゲット。この間使ったタクシー代だけで、優にギャラ以上の金額だ。ま、しゃ〜ない。1日遅れでスロバキアのコンサート会場へ。開演ぎりぎりどうにか間に合った。演奏も良かったし。終演後、地元の人達との打ち上げ。6年前は夜中にバーなんて開いてなかったのに、えらい違いだ。そこここにネオンがちかちかしている。が、入ったバーで、久しぶりに飛んでもない目にあった。ウェイターがオレの顔を見て露骨に嫌な顔をしたのだ。それも一人だけじゃない。あるんだよな〜いまだに人種差別って。苦労してせっかく来たのに。「黄色いサルのエサ置いてます?」。よっぽどそう言ってやろうかと思ったけど、どうせ英語は通じないし、巨大なウェイターと喧嘩しても、たたき出されるのがオチだ。僕らは無言でバーを出ることにした。そういえばコンサート会場の入口で「STOP RACISM」のチラシを配ってたのを思い出した。なんで、わざわざ? 日本人のコンサートだから? なんて逆にへんな気分になったのだけれど、そういうことだったのか。この後行った中華料理屋の店員からオレはちょっと普通ではかんがえられないようなものすごく温かいもてなしを受けた。まるで同胞のような扱いだ。でも逆に、ここでのアジア人の置かれてる環境の厳しさをひしひしと感じてしまって、素直にはよろこべなかった。悲しくなった。ふ〜、もう21世紀だぜ。アジアも西洋も、黄色も白もどうでもいいじゃねーか。人間はいったいいつになったら賢くなれるんだ。だれか何とかしてくれ〜。


Last updated: December 20, 2000