2001年9月13日に愛知芸術文化劇場小ホール(名古屋市)で行われた特集公演「声の現代:コンピュータとの出会いとその可能性」のパンフレットに掲載
「モジュレーション」は、複数の音が互いに干渉しあうことで起こる様々な音響現象に焦点をあてた一連のシリーズ作品で、1999年以来5作品が録音され(内3作品は未発表)本作品は6作目になる。ジョン・ゾーンのCDレーベルTZADIKのコンポーザーシリーズからリリースされ『Cathode』の中の作品として作曲した1作目の「モジュレーション#1」は、前半の数分、笙とサイン波それぞれが同音程の単音を出し、わずかに音程をずらすことで音か揺れる様子を聴くだけの作品になっている。サイン波というもっともシンプルな波形の電子音がほかの音と反応することで起こる様々な音響現象が、この作品を作ったそもそもの動機だったのだ。
無論こうした方法の作曲は、決して新しいものではない。モジュレーションに焦点をあてた作品は20世紀の現代音楽やここ数年のアブストラクトなテクノを中心に、数多く世にでているし、正確には、およそ音楽と呼べるもののほとんどは、音の干渉の多様なバリエーションでもあるからだ。
ただ、わたしがここで試したかったのは、ひとつには、演奏方法や、音楽的な作為によって音を変化させるのではなく、純粋に音が化学反応のように変化するだけでも、充分に聴く喜び、あるいは演奏する楽しみを味わえるのではないかという確認作業でもあった。その意味では実験というのではなく、音楽の聴き方の発見にこそ、この作品の根本があるといってもいい。 さらに、そこから発展させて、たとえば、ある音と音が反応するテクスチャーのみを聴きながら即興演奏をしたり(このあたりはSachiko Mが想起したFilamentの活動に負うところが多いが、これついて書くと長くなるので、別の機会に譲る)、場合によっては、従来の音楽を演奏しながらも、モジュレーションのほうに焦点があるような作品を探れないだろうか…というのが、このシリーズのベーシックなコンセプトだ。ちなみに従来の音楽の演奏の中でのモジュレーションは、わたし自身のジャズユニットのアルバム『OTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ QUINTET / Flutter』の中で試みている。
今回は、ここに楽器ではなく「声 = 人間の喉が発する肉体そのものの音」と、機械の出してしまう「バグ = デジタル機器やコンピュータの情報が不制御になったことで生ずるノイズや、ハードディスク等から出るデジタルノイズ、あるいは接触不良音等」を要素として加えることにしてみた。サンプラーのメモリーチップ(コンピュータのメモリー回路と基本は同じものだ)を限りなくゼロに近い状態にして発せられるSachiko Mのサイン波。およそモジュレーションの方法には不向きとおもわれる生身の声を自在にあやつる相良奈美。喉自体の接触不良音ともいえるハイウリングヴォイスを使う吉田アミ。わたし自身とSachiko Mによるバグやノイズという4つの要素が、この作品の中にどういう効果をもたらすのか、わたし自身も大いに興味があるところだ。
大友良英
2001年8月 東京にて